MLBの読み物

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カテゴリ: 翻訳記事

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2019105日、ヒューストン・アストロズのゲリット・コールはタンパベイ・レイズ戦で誰もが驚くような投球をやってのけた。8回途中まで投げて、15三振、1四球とまさに圧巻のピッチングだった。今回の記事では歴史的な快投だったコールの投球を様々な記録と結びつけて見ていきたいと思う。

 

33回の空振り

これはピッチトラッキングの記録が残る2008年以降では、史上最高の記録になる。これまでの記録は2010年にティム・リンスカム(SF)がマークした31回である。さらに驚くべき点は、レギュラーシーズンの成績でもコールより多く空振りを奪った投手はダニー・ダフィー(KC)とクレイトン・カーショウ(LAD)だけという事だろう。

1試合で奪った空振りの数についてはこのリンクから見る事が出来る。

 

15三振

コールはプレーオフの試合で、15以上の三振を奪ったアストロズの選手になった。彼以前のアストロズのチーム記録は、1986年のNLCSマイク・スコットがマークした14三振である。スコットはその日がプレーオフ初登板であり、そのシリーズではMVPに輝いた。

 

③プレーオフで12以上の三振を奪った回数

昨日の好投により、コールはプレーオフで12以上の三振を複数回奪った選手の仲間入りを果たした。そのリストには、トム・シーバージム・パルマーボブ・ギブソンが含まれている。コールの同僚でもあるジャスティン・バーランダーも1回記録しているので、近いうちにこのリストに加わる可能性もある。

 

④プレーオフでの空振り三振の数

コールが奪った15の三振のうち14回は空振りによるものだった。これは2008年以降のプレーオフの試合では最多である。これまでの記録は2015NLDSでジェイコブ・デグロム(NYM)が樹立した13であった。

 

⑤プレーオフでの三振記録

プレーオフの試合で15より多くの三振を奪ったのは、1968年のボブ・ギブソンの171998年のケビン・ブラウン16だけである。つまり15三振は歴代3位になる。

 

100マイル以上で三振を奪った回数

コールは7回にチェ・ジマンから100マイルの4シームで三振を奪っている。彼がプレーオフで、100マイル以上のボールで三振を奪うのは2回目になる。これで記録が残る2008年以降ではノア・シンダーガード(NYM)に並んだ。

 

8回以降に99マイルを記録した先発投手

コールは8回に99マイル以上のボールを5球投げた。これにより、99マイル以上を8回以降も投げた9人目の投手になった(2008年以降)。ちなみにこれはレギュラーシーズンも含めての記録であるから、より希少性が際立つ。

 

⑧4シームの平均球速

コールが60球投げた4シームの平均球速は97.9マイル(157.6キロ)だった。これはキャリア通算197試合目にして3番目の速さだった。ちなみに史上最速は、76日のエンゼルス戦の98.1マイル(157.9キロ)である。

 

10試合連続二桁三振

コールはシーズン最後の9試合で二桁三振を記録して、昨日も15個の三振を奪っている。これで10試合連続二桁三振になるが、もちろん歴代1位である。過去最高は8試合連続のクリス・セール(BOS)ペドロ・マルティネスである。

 

⑩四球の数

コールは15三振を奪う一方で、四球を与えたのは1回だけ。四球を1個以下に抑えながら、奪った三振数15は歴代2位に該当する。1位は⑤の項目でも名前の出たボブ・ギブソンで17の三振を奪いながら四死球は1個に抑えた。

 

改めて様々な記録を見るとその凄さがよく分かる。今のコールならばこれらの記録のさらなる更新にも期待したいと思う。

 

参考:https://www.mlb.com/news/gerrit-cole-15-strikeouts-alds

Photo BY: Jon Dawson

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ヤンキースに所属しているアーロン・ジャッジは2016年と2017年で別人に生まれ変わりました。

2016年にデビューしたジャッジは驚異の三振率44%を記録するなど、打撃の粗さが大きな課題となっていました。
 

しかしジャッジは2017年に52HRを記録して、新人王になりMVP投票でも2位に入りました。彼が進化した背景にはいくつか理由がありました。その中でもあまり知られていないエピソードを紹介したいと思います。

 

実はジャッジの成長には代理人が同じベテラン選手の存在があったようです。それはオリオールズやレイズで活躍したルーク・スコットです。

 

まずはルーク・スコットのキャリアを振り返ってみましょう。1978年生まれの現在39歳で、2005年にアストロズでMLBデビューを飾りました。2008年にオリオールズに移籍後は、3年連続で20HR以上を記録しています。2013年を最後にMLBの舞台から遠ざかっており、現在はFAです。

 

スコットとジャッジは、ジャッジが2013年にドラフトで指名された時に初めて会ったそうですが、しばらくは特に連絡を取っていなかったそうです。しかし2016年のシーズン後に、スコットがMLBで苦戦したジャッジに連絡を入れたことがジャッジを大きく助けることになりました。

 

スコットのメッセージは「俺は打撃のエッセンスを持っている。これは君の人生を変えるはずで、君とシェアしたい。だから少し時間を取ってほしい。」でした。

 

ジャッジはスコットを個人的に師と仰いでいて、2人は現在も非常に良好な関係を築いています。「彼は興味深い男だね。彼にあのビデオを見せてもらうまでは、打撃に関して知らないことがあったから。」とジャッジは語っています。

 

ジャッジがバリー・ボンズやミゲル・カブレラの打撃について勉強したことは知られていましたが、その裏にはスコットの存在があったのです。

スコットは自身の打席でのメカニクスを分析している時にトップ選手には共通することがあることに気づいたそうです。

 

それは、彼らの打席での身体の動かし方とそしてバットに当てるまでにエネルギーを浪費しないということです。スコット曰くエリート選手はみんなこれをやっていて、それが一貫できているそうです。

 

スコットはそれをジャッジとシェアしたいと思い、彼にメッセージを送りました。その後彼はジャッジに、このエリート選手たちの打席での動きを共有して、どのように使うかを説いたそうです。

 

その後のジャッジの成功は言わずもがなです。2017年はア・リーグ1位のHR52を記録して、OPSはエンゼルスのマイク・トラウトに次いで2位四球と三振はリーグ首位でした。この活躍にはもちろんスコットも喜んでいます。

 

スコットは、ジャッジの活躍を牢獄から宮殿に引っ越したと面白い例えで彼の活躍を称えています。NYは野球のメッカであり、責め立てられることも多い。しかし彼はとても謙虚な男だから、これからも上手くいくはずだとスコットはジャッジにエールを送っています。

 

ジャッジはメークアップが優れていると評判ですが、彼の謙虚な姿勢があったからこそスコットも打撃のエッセンスを共有しようと思ったのでしょう。ジャッジの謙虚な性格はかつてのヤンキースのスターデレク・ジーターを思い起こさせるところがあります。彼ならば、厳しいニューヨーカーからも愛される選手として長く活躍できるはずです。

 

参考:https://www.newsday.com/sports/columnists/david-lennon/luke-scott-part-of-secret-of-aaron-judge-s-success-1.17307550

Photo BY: KA Sports Photos

 

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MLBもプレーオフの季節になりました。毎年プレーオフで勝ち抜くために最も大切な要素は何かという話は議論されています。強力なブルペンなどは特に重要とされますが、今回は“プレーオフこそHRの重要性が高まるという話を紹介したいと思います。

 

今季はツインズが両リーグ最高の307HRを記録するなど、HRが激増しました。また2001年以降の19年間でチームHR数の上位10チームのうち、実に半数以上の6チームが2019年のチームです(ツインズ・ヤンキース・アストロズ・ドジャース・アスレティックス・カブス)

 

さらにオールスターゲームの前にアストロズのジャスティン・バーランダーが激しく批判していたように、MLB機構がいわゆる“飛ぶボール”を使っているのではないかとの声も多く聞かれます。

 

プレーオフなどの短期決戦では、バントや盗塁といった小技を駆使して成功したチームもあります。しかしこのように多くのチームがHR数を伸ばしていて、さらにボールがよく飛ぶと考えられている状況で勝つために大事なものは何でしょうか?それはズバリHRを打つ事です。

 

実際にアストロズでサイ・ヤング賞を最後まで争ったバーランダーとゲリット・コールのコンビは、2人合わせて1試合で2.25本しかシングルヒットを打たれていません。スモールベースボールを展開するためには、まず塁に出る必要があります。しかし上記の数字より今季の彼ら相手にはそれはとても難しいと言えます。

 

(1)

Team

1試合のシングルヒット

PO期間の合計バント数

SF(2014)

7.2

9

KC(2015)

6.3

4

CHC(2016)

4.9

1

HOU(2017)

4.6

1

BOS(2018)

5.6

2

 

1を見ても分かりますが、2014年にワールドシリーズを制覇したジャイアンツを最後に、シングルヒットやバントの数は減少傾向にあります。

 

(2)

シーズン

勝率

2003-06

.356

2007-10

.341

2011-14

.387

2015-18

.333

 

 

2に記される勝率は、プレーオフの試合でHRが出なかったチームの勝率です。HRが出ないと勝率が3割台にまで低迷しており、一気に低下する事は明らかだと言えます。

 

さらに、2015年から18年までの4年間の間でHRの数が0本あるいは1本のチームの勝率は.396でした。一方で2HR以上を記録したチームの勝率は.697になり、プレーオフで勝ち抜けるためには複数のHRを打つ事がいかに大事かがよく分かります。

 

今回の記事ではHRがプレーオフではより重要性が高まるという事を伝えたい訳ですが、シングルヒットやバントが無駄であるとは言っていません。HRをとにかく狙う野球とスモールベースボールのどちらかが絶対に優れていると言いたい訳ではないのです。

 

例えば昨年のレッドソックスとドジャースが対戦したワールドシリーズ第1戦の初回に、ムッキー・ベッツはシングルヒットを打ち塁に出ました。その後彼は盗塁を決めて、次の打者アンドリュー・ベニンテンディのタイムリーでホームに帰ってきました。

 

このようにシングルヒットや盗塁を駆使して得点を取る事も時には求められます。しかし複数のHRが出るとチームの勝率が高まるのは事実ですから、今年のプレーオフでは例年以上にHRに注目して観戦するのも面白いかもしれません。

 

参考:https://www.si.com/mlb/2019/09/23/new-york-yankees-la-dodgers-home-run-record

Photo BY: Ian D’Andrea

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MLB
もいよいよ明日でレギュラーシーズンが終了します。10月になると1日に行われる試合数も少なくなり、試合中継に有名なレポーターが登場する機会が多くなります。そんなレポーターを代表する存在が一際目立つ蝶ネクタイを着けたケン・ローゼンタール氏でしょう。彼はTwitterのフォロワーが100万を超えていて、MLB関連の移籍情報等を速報するのが早いことで知られています。ローゼンタール氏は今でこそ有料サイトThe Athletic でコラムを執筆していますが、その前はFox Sports で執筆活動を行なっていました。そこで今回は、彼が8年前にFox Sportsで蝶ネクタイを着けている理由を説明した記事を紹介したいと思います。

 

ローゼンタール氏は2010年のNLCSの最終戦が終わった後、フィリーズの本拠地を歩いている時に彼の当時の上司であったジム・バーナード氏からWSで蝶ネクタイを着用するようにと伝えられました。これは当時のFox Sportsの社長であるデビッド・ヒル氏からの直々の指令でした。

 

ローゼンタール氏自身も初めは戸惑い着用したくないと考えていたようです。しかし放送チームの和を乱したくないと考えて、最終的にこの指令を受け入れて2010年のWSで蝶ネクタイデビューを飾ります。蝶ネクタイは好評でしたが、Fox SportsWS期間限定の使用を考えていました。

 

そんなローゼンタール氏の元にダーニ・ジョーンズ氏から蝶ネクタイについて話したいとメールが届きます。ジョーンズ氏は元NFL選手で、蝶ネクタイを販売する会社を設立していました。そしてジョーンズ氏は様々なチャリティと手を組んでそれぞれのチャリティの方針やイメージに合わせた蝶ネクタイをデザインしていたのです。

 

そこで事情を知ったローゼンタール氏はチャリティの役に立ちたいと考えて、蝶ネクタイを2011年のシーズンから試合の放送がある日は毎回着用するようになったのです。

 

これがローゼンタール氏が現在も蝶ネクタイを着けている理由ですが、そもそも初めに着用するように言われた際に感じた戸惑いについても説明しています。

 

ローゼンタール氏は元々ボルチモアの地元紙でオリオールズ担当として1980年代にキャリアを始めました。その当時は紙の新聞の全盛期であり、新聞記者が自身の記事に個性を出す事はご法度とされていました。

 

しかしインターネットが世界を繋ぐ現代では紙の新聞の存在感は薄れつつあります。むしろスポーツ報道の中心はTVwebに移行しました。この現代の環境で記者に求められるものは80年代と真逆のものになってしまったのです。

 

つまり現代では記者の個性こそが重要になっているのです。実際にFox Sportsで記事を書く際には一人称()を使うように指示されたというエピソードも明かされています。もちろんこれは記者の個性を表現する為です。

 

さらにTVはまた違う難しさがあると綴られています。TVはショーであり、存在感が大事になるのです。ローゼンタール氏自身これを理解するのに時間がかかったと明かしており、現在(2011)も時々悩むとも語っています。

 

ローゼンタール氏は自身に関心が集まる事を嫌っていて、彼の家族も同様に蝶ネクタイを着ける事に反対しました。しかし実際に着用すると多くの反響があり、そのほとんどがポジティブなものだったそうです。 (終)

 

今回はMLB業界屈指の名物記者の最大の個性の誕生秘話を紹介しました。原文では今回のブログ記事で触れていない事も沢山書かれていますので、是非お読みください!

 

参考:https://www.foxsports.com/mlb/story/ken-rosenthal-to-wear-bow-ties-for-charity-during-mlb-on-fox-in-2011-season-032911

Photo BY: Bart Hanlon

 

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タンパベイ・レイズに所属する外野手のジョニー・デービスは家に帰りたくない日が何度もあり、家があるのかさえ分からない事もあった。

 

これは彼が育ったカリフォルニア州のコンプトンという地域での生活の話だ。彼と母親、そして2人の兄弟はホームレスの為の避難所を出たり入ったりしていた。また彼の父親は刑務所に出たり入ったりの生活を繰り返していた。食事を食べることさえままならない日もあった。ピーナッツバターは高価で手を出せなかったので、シロップ付きのサンドウィッチを食べた事もある。ラーメンの麺は安く手に入ったので、よく食べていたとも彼は振り返る。

 

そんな生活を送っていたデービスを救ったのは野球だった。

 

現在29歳のデービスは、3つの異なる高校、二年制大学、7年間のマイナー生活、そしてメキシコリーグと独立リーグを経て故郷カリフォルニアに彼自身も予想もしない形で戻ってきた。

 

今年の8月終わりにレイズとマイナー契約を結んだデービスは、MLBのチーム(レイズ)のユニフォームを着てドジャースタジアムに立っているのだ。

それでは彼がどのようにしてMLBに辿り着いたのかを見ていこう。

 

僅か3週間程前までデービスはメキシコリーグでプレイしていた。打率は.300を超え盗塁数は54に到達していた。しかし彼の代理人は2年前メキシコ行きを決めた彼に止めるよう伝えていた。メキシコに行けば、スカウト達の目に留まらなくなり忘れられた存在になるからだ。2年経って自分が周囲から忘れられた存在になったのかをデービスは考えていた。誰かが自分のプレイを見ていて、何か良い事が起こらないかとデービスは考えていた。

 

まさにその頃レイズはスピードのある選手とさらなる外野手の獲得を検討していた。彼らは、メキシコにスカウト人生で見てきた中で最も俊足の選手がいるとの報告をあるスカウトから受けた。

 

まさにこの男こそ、2013年にブルワーズから22巡目で指名を受けた時にベースボール・アメリカ誌からその時のドラフトで最速のベースランナーと評されたデービスだった。彼は2015年に十字靭帯を損傷して、野球選手としてのキャリアが終わったかもしれないとさえ思っていた。

 

レイズはその後スカウトを派遣して、彼のプレイを視察した。そして826日にデービスとマイナー契約を結んだ。その僅か6日後傘下AAAのチームに帯同していたデービスはチームメイトとホテルでゲームをしていた。そこで彼は長年待ち望んでいた言葉を聞いたのだ。彼は「ホテルにいた全員に聞こえるくらい大きな声で叫んだ。」とその時のことを振り返る。すぐに彼は婚約者にメッセージを送り、バス運転手として彼ら兄弟を女手一つで育てた母に電話を掛けようとした。しかし母の携帯電話は壊れていたので、兄弟に連絡を入れた。

 

それから彼の恩人であるジェラルド・ピケンスに連絡した。ピケンスについて「彼がいなければ俺はここにいない。今日こうしていられるのも彼のおかげだ。」とデービスは語る。

 

ピケンスはデービスの故郷コンプトンの聖人であり、MLB機構が主催するRBIプログラムを見つけてきた人物だ。デービスとピケンスの出会いはデービスが13歳の頃に遡る。デービスは母親から罰として野球をプレイすることを禁じされており、当時ほとんど野球をプレイしていなかった。当時のデービスは素行が悪く、何度もトラブルを引き起こしていた。さらに学校での成績も酷いものだった。

 

一方彼の弟タイリーは野球が好きだった。ある日タイリーはスカウトの前でプレイすることになり、足の速さで多くのスカウトの度肝を抜いた。しかしタイりーは肩をすくめ、兄のジョニーを紹介した。ジョニーはジーンズ姿でアップもせずに、50ヤードを5.90秒で走った。その後彼は球場でも1塁まで3.4秒で走ってみせた。新たなプロスペクト誕生の瞬間だった。

 

デービスはその後ピケンスとともに優れた野球選手になるためにトレーニングを始めた。彼らのトレーニング中に銃声が聞こえるような環境であり、ピケンスはデービスのことをとても心配していた。しかしデービスは心の底から改心して、努力を続けた。その後彼はブルワーズに指名されて、コンプトンを離れた。

 

その後2018年のシーズン途中に彼は自らブルワーズに自身をリリースするように求めた。そしてその後彼はメキシコに渡った。そして遂に彼はMLBに到達した。迎えた13日のエンゼルス戦、彼の両親やピケンスが見守る中彼は故郷の近くエンゼル・スタジアムで3塁打を放った。

 

現在デービスは主に代走として起用されている。これからMLBはプレーオフの季節に入っていく。レイズは現在プレーオフ圏内であり、もしプレーオフに進めばデービスの最大の魅力スピードを活かす機会もあるかもしれない。数年前のロイヤルズのテレンス・ゴアのようなスピードスターが活躍しやすい10月の舞台で、デービスが躍動する姿を見られるのが今から楽しみである。

 

参考:

https://www.usatoday.com/story/sports/mlb/columnist/bob-nightengale/2019/09/18/johnny-davis-tampa-bay-rays-mlb/2362594001/

 

Photo BY: Eric Kilby

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